何もしない朝と温泉がくれた、静かな回復の時間
入院生活の朝は、驚くほど静かでした。
廊下の足音も、遠くのナースコールも、どこか薄い膜の向こうから聞こえてくるようで、世界がまだ深い眠りの中にいるように感じられました。
私は毎朝、しばらくベッドの上で天井を見つめてから、ゆっくりとカーテンを指先で少しだけ開けます。
窓の向こうには六甲の稜線。
霧がやわらかくまとわりつく日もあれば、雲ひとつない青空が広がる朝もある。
ただ、その景色を眺めるだけの時間——。
スマートフォンにも触れない。
今日の予定も考えない。
“何者でもない自分”でいられる、静かな朝。
気づけばその時間が、一日の中でいちばん心を整えてくれていました。
入院という非日常の中で、私は初めて知ったのです。
「回復は、努力ではなく、静けさの中でゆっくり進んでいくものなのかもしれない」 と。
何もしないことが、こんなにも難しかった——入院初期の不安
入院したばかりの頃、私は “何もしない時間” がとにかく苦手でした。
これまでの人生は、動いて、考えて、決めて、予定を埋めて……
「止まらないこと」が当たり前だったからです。
仕事の締切、家族の用事、次の予定。
頭の中はいつも「これからやること」でいっぱいでした。
だから、病院の朝の “予定のない時間” は、
休息というより、むしろ 「置いていかれるような不安」 に近い感覚でした。
けれど、数日、数週間と同じ静かな朝を過ごすうちに、
身体の奥で何かがゆっくり変わっていくのを感じはじめます。
呼吸が、自然と深くなる。
胸のざわつきが、波が引くみたいに静まっていく。
そしていつしか、
- 「今日をどう乗り切るか」ではなく、
- 「今日をどう味わうか」 を考えるようになっていました。
それが、私にとっての “心の回復の始まり” でした。
ちなみに、厚生労働省が提供する健康情報サイト「e-ヘルスネット」では、
ストレスや生活習慣と心身の健康の関係について、わかりやすく解説されています。
(厚生労働省 e-ヘルスネット:快眠と生活習慣)
朝の光と一緒に、心も静かにほどけていく
病室のカーテン越しに差しこむ朝の光は、決して強くありません。
けれど、そのやわらかさが不思議なほど心に沁みていきました。
あの頃の私は、前向きになろうとも、元気になろうともしていませんでした。
ただ生きている。
ただ息をしている。
それだけで十分だと、ようやく思えたのです。
何もしない朝の時間は、
「頑張るための準備」ではなく、
“自分とそっと寄り添う時間” でした。
その静けさの積み重ねが、
私の内側で確かに回復を進めていたのだと思います。
厚生労働省の「e-ヘルスネット」では、
睡眠と生活習慣、ストレスとの関係についても解説されており、
生活リズムや光、入浴などが自律神経のリズムを整える一助になるとされています。
(e-ヘルスネット:休養・こころの健康)
退院後も続いている、心を整える朝の習慣
退院した今でも、私はあの朝の過ごし方を続けています。
目覚めてもスマートフォンには触れず、
まずはカーテンを開けて空を見る。
雲の流れを見る。
「今日は何を頑張ろう?」ではなく、
「今日はどんな空だろう?」 から一日を始めます。
それだけで、心の中に小さな静けさが灯ります。
忙しい日々でも、自分を見失いにくくなりました。
入院生活のあの朝の時間は、
退院後の私に残された いちばん大切な贈り物 だったのだと思います。
退院後に訪れた温泉——シャワー皆勤賞と、回復としての入浴
治療中は体力も落ち、遠出できる自信もありませんでした。
入院中はシャワーだけの許可でしたが、
私は気分が少しでも良い日は必ず浴びに行っていました。
——たぶん、ほぼ皆勤賞だったと思います。
それほど私は昔から、“湯” が好きなのです。
「退院したら、温泉に浸かりたい」
その願いだけが、治療の中でずっと消えずに残っていました。
主治医に相談すると、
「長湯をしないこと」「無理をしないこと」を条件に、近場の温泉を許可してくれました。
私は人の少ない平日午前に、車で10分ほどの小さな街の湯へ向かいました。
湯船に身体を沈めた瞬間、
シャワーでは味わえなかった “包まれる温かさ” が全身に広がっていきます。
それは治療ではなく、
回復のためのやさしい時間 でした。
環境省が発行している冊子「あんしん・あんぜんな温泉利用のいろは」では、
温泉の効用や、持病がある場合の注意点などが、イラスト付きでわかりやすくまとめられています。
(環境省:あんしん・あんぜんな温泉利用のいろは(PDF))
また、温泉療法が自律神経や症状の改善に寄与する可能性を示した医学的な報告もあります。
(気管支喘息症例における内分泌・自律神経系に対する温泉療法の効果(CiNii Articles))
温泉ひとり旅が教えてくれた、静かな回復の感覚
その温泉は観光地ではなく、地元の人が静かに通う湯でした。
湯の音、窓から差す光、湯気の奥にぼんやり見える空。
どこか、入院中の朝とよく似ていました。
温泉でのひとり時間は、
「元気を取り戻すため」ではなく、
「ただ、ゆるめばいい時間」 でした。
ああ、回復というのは
こうした “静かな積み重ね” なのだ——
湯船の中で、そっとそう思いました。
頑張らない時間こそが、人を回復させるのかもしれない
入院生活も、温泉での時間も、
私にひとつの真実を教えてくれました。
回復は、頑張ることから生まれるとは限りません。
むしろ、
- 何もしない
- 何も決めない
- 何も作り出さない
そんな “空白の時間” の中でこそ、
人は静かに息を整え、
気づかないうちに元の自分へ戻っていくのだと思います。
心の回復とは、派手ではなく、
とても個人的で、そっとしたもの。
働く人のメンタルヘルスについては、
厚生労働省のポータルサイト「こころの耳」でも、
ストレスとの付き合い方や相談窓口などが紹介されています。
(働く人のメンタルヘルス・ポータルサイト「こころの耳」)
おわりに|心が疲れたとき、何もしない朝と温泉の力を思い出してほしい
もし今、あなたが少し疲れているのなら。
もし、何もする気が起きない朝に
「ダメな自分だ」とうつむいてしまうなら。
どうか責めないであげてほしい。
何もしない朝は、怠けている時間ではありません。
それは、心と体が静かに回復へと向かっているサイン。
今日の朝、ほんの数分でいい。
カーテンを開けて、空を見上げてみてほしい。
その瞬間から、あなたの内側では
もう、回復が始まっているのかもしれません。
※本記事は、筆者自身の入院・治療・温泉体験に基づく個人的な記録です。
医療的な判断や治療方針については、必ず担当の医師・医療機関にご相談ください。
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