あの日、病室の窓から見えた六甲山の稜線は、いつもより少しだけ淡い色をしていました。
未来がまっ白で、どこに足を置けばいいのか分からなかった頃。それでも朝になると、わたしはいつも窓の外を見て、六甲山に向かってそっと挨拶をしていました。
声には出さず、ただ心の中で「おはよう」とつぶやく。誰に向けた祈りでもなく、何かを叶えてほしいお願いでもなく、
「わたしは、今日もここにいていいんだ」
そう静かに確かめるための、小さな所作でした。
退院して自宅に戻ってからも、その朝の儀式は自然と続きました。特別な宗教心があるわけではありません。それでも、わたしの家には、お伊勢さんや氏神さま、そして「なんとなく心がやわらぐ存在」を祀った、小さなお手製の神棚があります。
手を合わせるたび、胸の奥に散らばっていたざわつきが、すうっと中央に集まっていく。がん治療の真ん中にいた頃、いちばんわたしを救ってくれたのは、この“部屋の呼吸”をそっと整える習慣でした。
がん治療中に生まれた「小さな儀式」──六甲山への朝の挨拶
入院していた頃、朝の始まりはとても静かでした。モニターや医療機器の電子音がかすかに漂う病室で、わたしがいちばん最初に目を向けていたのは、窓の向こうに見える六甲山です。
そこには「神さま」がいるわけでも、「誰か」が待っているわけでもありません。それでも、六甲山に向かって心の中で「おはよう」と挨拶すると、不思議と自分が世界ともう一度つながれるような気がしました。
そのほんの一瞬だけは、がんという現実も、痛みも、不安も、少し深いところへ静かに沈んでいきます。
六甲山の稜線が朝日に少しずつ照らされ、空気の粒がゆっくり動きはじめる時間。まるで山そのものが呼吸をしているようで、わたしはそのリズムに合わせて、ゆっくり息を吸い、ゆっくり吐いていました。
それは大げさな「生きよう」という決意でも、特別な祈りでもありません。ただ、今日を始めるための静かな準備運動のようなものでした。
心理学の研究でも、こうした小さな儀式には不安を鎮め、生活のコントロール感を取り戻す力があるといわれています。科学的な説明は少し難しくても、「ああ、たしかにそうかもしれない」と、当時のわたしは自分の身体で感じていました。
退院後に続いた習慣──お手製の神棚に手を合わせる理由
家に戻って最初にしたことは、神棚の埃をそっと払い、少しだけ位置を整えることでした。
「神棚って宗教っぽくて、なんとなく苦手……」
そう感じる人もいるかもしれません。けれど、神社本庁の公式な考え方では、神棚は信仰を強制するものではなく、日本に昔からある“生活文化”のひとつとされています。
伊勢神宮の公式サイトを見ても、お祀りする神さまをできればこの方角に向けてとあるものの「絶対にこれでなければいけない」というわけではなく、その家の環境に合わせた自然な形で迎えてよいと示されています。
わたしの神棚には、伊勢の神さま、地元の氏神さま、そして「手を合わせたくなる存在」のお札が並んでいます。そこに特別な意味づけをしすぎることはせず、「しっくりくるかどうか」という感覚を大切にしてきました。
手のひらをそっと合わせると、四方八方に散っていた心が真ん中に帰ってくるような感覚があります。スタンフォード大学の研究でも、日々の儀式的な行動には不安を減らし、生活のコントロール感を取り戻す効果があると報告されています。
だから朝の神棚は、わたしにとって「願いを叶えてもらう場所」というよりも、「心の置き場所」のような存在になりました。
行き詰まったら“部屋の呼吸”から整える理由
がん治療のあいだに痛感したのは、「部屋の空気」と「わたしの心」は驚くほどリンクしている、ということでした。
神棚を整えると、自然とその周りのものを片づけたくなり、部屋の空気が軽くなります。すると、心までふっと軽くなるのです。
朝いちばんに神棚に向き合うことは、わたしにとって、「今日を無理なく始めるための準備運動」のようなものでした。
心がざわついている日は、思考も感情も、あちこちに散らばってしまいます。そんなときは、まず手のひらを合わせてみる。手のひら同士が触れ合う瞬間、意識がスッと一箇所に戻ってくるのを感じます。
大きな努力や劇的な変化は必要ありません。
「たったひとつの所作だけで、人生は静かに立て直されていく」
がん治療中のわたしが、そのことを身をもって教えてくれました。
今日からできる“部屋の呼吸”の整え方
ここからは、わたしが実際に続けてきた「部屋の呼吸を整える小さな習慣」を、そっとおすそわけさせてください。どれも難しいことではなく、今日から、いえ、今この瞬間からでも始められるものばかりです。
朝いちばんに、窓の向こうへ挨拶する
入院中、わたしは毎朝、六甲山に向かって心の中で挨拶をしていました。同じように、家にいても、窓の向こうの空や雲、ビルの影や木々でもかまいません。
「今日もよろしくね」
と小さく心の中でつぶやくだけで、呼吸がひとつ深くなります。
これは、特定の誰かに向けた祈りではなく、自分自身にやさしい波紋を送り返す行為だと、今では思っています。
お手製の神棚をつくる(特別じゃなくていい)
神棚は、豪華である必要はまったくありません。小さな棚に、お札が一枚置いてあるだけでも十分です。
伊勢神宮、地元の氏神さま、お気に入りの神社…。
「ここにいてもらえると落ち着くな」と感じる存在を、そっと迎えてみてください。
大切なのは、形や格式ではなく、
「手を合わせると、心がふっと戻ってくる場所かどうか」。
その感覚を、自分のいちばんの基準にして大丈夫です。
一杯の白湯で、心の速度をゆるめる
朝の白湯は、心と身体をやさしく起こしてくれる相棒のような存在です。湯気のゆらぎを眺めているだけで、心のざわめきがひとつ静まっていくのを感じます。
がん治療中、体力も気力もすり減っていたわたしが、毎日つづけることができたのは、この「白湯の儀式」だけでした。
たった一杯の白湯でも、体の芯から「大丈夫だよ」と言われているようで、ささくれだった心が少しずつ丸くなっていきました。
よくある質問(FAQ)
Q1. 神棚って、やっぱり宗教っぽくて抵抗があります。
たしかに「神棚」と聞くと、宗教的なものをイメージして少し構えてしまう方もいるかもしれません。ですが、神社本庁の公式な説明では、神棚は日本に昔からある“生活文化”とされていて、特定の信仰や宗派を強制するものではありません。
形よりも、「そこに向き合うと心が落ち着くかどうか」を大切にしてみてください。
Q2. どの神さまを祀ればいいのか分かりません。
伊勢の神さま、地元の氏神さま、崇敬している神社など、どれを選んでもかまいません。伊勢神宮の公式サイトでも、家庭に祀るお札には厳密な決まりはなく、自然なかたちで迎えてよいと紹介されています。
あなたが「自然と手を合わせたくなる存在」こそが、その家にとっての正解です。
Q3. 部屋が狭くて、神棚を置くスペースがありません。
大きな宮形や立派な棚がなくても大丈夫です。小さな棚や壁の一段、窓辺の一角など、少しだけ視線を上げたところに、お札をそっと置くだけでも十分です。
大事なのはスペースの広さよりも、「そこに目をやると、背筋がすっと伸びるような感覚」があるかどうかです。
Q4. 入院中でもできる習慣はありますか?
もちろんあります。特別な道具がなくても、窓から見える空や山、ビルの屋根などに向かって、心の中で挨拶をするだけで十分です。
六甲山がわたしを支えてくれたように、どんな風景でも、そのときの自分にとっての“心の置き場所”になってくれます。
おわりに──小さな儀式が、人生をもう一度ひらく
がん治療という大きな波の中で、わたしを支えてくれたのは、驚くほど小さな行為ばかりでした。
手を合わせること。
部屋の空気をそっと整えること。
窓の外に「おはよう」と挨拶すること。
どれも、誰にも見えない静かな所作です。でも、それだけで心は少しずつ立て直されていきました。
そして、わたしが自分の中に落とし込めて、ふっと楽になれたことがあります。
それは、「人は誰もが、いつか虹の橋を渡る」ということ。
遅いか早いか、そのタイミングが違うだけなのだと受け止められたとき、怖さよりも、「じゃあ、いまをどう過ごそうか」という気持ちのほうが少しだけ大きくなりました。
だからこそ今は、無理に頑張らなくても大丈夫だと思っています。ひとつひとつの朝の儀式が、わたしを今日へと連れてきてくれる。そう信じて、静かに暮らしを続けています。
あなたの暮らしにも、そっと寄り添ってくれる小さな儀式が見つかりますように。
そして、その習慣が、あなたの人生をもう一度やさしくひらいてくれますように。
情報ソース・参考文献
本記事の信頼性を担保するために、以下の公的機関・学術機関の情報を参照しています。神社本庁は、神棚が日本の生活文化の一部であり、特定の宗教を強制するものではないと明記しています(https://www.jinjahoncho.or.jp/)。
伊勢神宮公式では、家庭に祀るお札に厳密な決まりはなく、伊勢・氏神・崇敬神社などを、それぞれの家の自然な形で迎えられるとされています(https://www.isejingu.or.jp/purpose/huda/)。
さらに、ハーバード大学医学部は、日々の祈りや儀式的行為が自律神経を整え、ストレス軽減に寄与する可能性を報告しています(https://www.health.harvard.edu/mind-and-mood)。
スタンフォード大学も、儀式的行動が不安を和らげ、生活のコントロール感を回復させる効果を示す研究結果を発表しています(https://news.stanford.edu/)。
これらの情報を統合し、「宗教ではなく生活文化としての神棚」と「小さな儀式が心を整える科学的な背景」について、記事の内容に反映しています。
あとがき──生きている証として、言葉を残す
わたしがこのブログを書き始めたのは、どこかに「生きている証」をそっと残したかったからです。
余命26か月と告げられた日、未来のページはまっ白で、何をどうすればいいのか分かりませんでした。それでも、その“呼吸の止まりそうな現実”の中で、わたしを前へ運んでくれたのが、この小さな言葉たちでした。
今もなお、「完全に脱却できたのかどうか」は正直わかりません。それでも、こうして言葉を綴るたびに、
「わたしは今日も生きている」
そう静かに実感する瞬間があります。
そしてもし、わたしの経験や気持ちのかけらが、あなたの疲れや不安をほんの少しでも軽くできたなら、それだけで、生き続ける意味がまたひとつ増えるような気がしています。
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。
あなたが今日も、自分のペースで、やさしい呼吸とともに過ごせますように。
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