送迎バスに揺られて気づいた、“今日を生きる力”のこと

暮らしの深呼吸

送迎バスに揺られて向かう、私の“静かな儀式”

朝のひんやりとした空気を胸いっぱいに吸い込みながら、自宅近くの停留所へ向かって歩き出します。
薄く目を覚ましはじめた空の青、マンションの窓からこぼれる淡い光、学校へ急ぐ子どもたちの声、すれ違う人たちの変わらぬ足取り──そのすべてが、今日という一日の「はじまりの静けさ」をそっと縁取っていました。

私は朝の日課である白湯を飲んだだけで、あえて朝ごはんを抜いて家を出ます。
採血とレントゲン、診察を終えたあとに、病院内の喫茶店でいただくモーニングが、通院の日にだけ許された小さなご褒美だからです。トーストの焼ける匂いを想像するだけで、張りつめていた緊張がふっと溶けていきます。

送迎バスの静かな時間

ほどなくして、かわいらしいイラストの送迎バスが、いつものように停留所へ滑り込んできます。ドアが開くと、ほのかに暖房の匂いが漂い、車内は外気よりも柔らかく温かく感じられます。
乗り込むと、いつも見かける人たちが今日もそこにいます。穏やかなまなざしのおばあさん、深く帽子をかぶった男性、小声で付き添いと話す若い家族──言葉を交わさずとも、「今日もここに来られましたね」と静かにうなずき合うような連帯感があります。

バスはゆっくりと坂を上り、街を抜け、山の麓へ向かっていきます。車窓の外では、季節ごとに表情を変える木々が、静かな絵画のように流れていきます。
春には淡い若葉が揺れ、夏には濃い緑が影をつくり、秋には赤や黄がゆるやかに混じり、冬には枝越しに澄んだ空が広がります。そのうつろいを眺めているだけで、胸の奥で固まっていた緊張が少しずつほどけていくのがわかります。

それでも、「今日も何も変わりませんように」という祈りと、「もし何か写っていたら」という不安は、静かに同居しています。
その揺れを抱えたまま、私はそっと深呼吸をします。通院の日だけに行う、私なりの小さな“心の準備”の儀式です。

病院というもうひとつの生活空間

病院に着くと、受付前にはすでに多くの人が並んでいます。電子掲示板に流れる番号、淡々としたアナウンス、薬局へ向かう足音、採血室へ急ぐ背中。病院という場所は、まるで「もうひとつの生活」が静かに流れている世界のように感じられます。

受付を終えて採血室へ向かいます。番号が呼ばれるまでのわずかな時間が、どうしてこんなにも長く感じられるのでしょう。呼ばれると、私はゆっくり席を立ち、深呼吸をひとつして椅子に座ります。
看護師さんの手はいつも温かく、動作に迷いがありません。「今日は冷えますね」「人が多いですね」──ほんの短い言葉が、張りつめた心を静かにほどいてくれます。

採血が終わると、レントゲン室へ向かいます。白い壁、機械の低い響き、消毒液のかすかな匂い。身体を固定する板の冷たさ。息を止める数秒のあいだに、濃密な静けさが流れます。
「はい、楽にして大丈夫ですよ」
技師さんの声が耳に届いた瞬間、胸に閉じ込めていた空気がふうっとこぼれ落ちます。

その後、技師さんがモニターを覗き込みます。その横顔を見るたび、何度経験しても胸の奥が小さく波打ちます。影の動きに、つい意味を探してしまう癖は、なかなか消えません。
すぐに「心配しすぎても仕方ないよ」という、もうひとりの私が現れて、そっと背中を撫でます。その声に寄り添いながら、私は待合室へと戻ります。

待ち時間に漂う、それぞれの物語

診察までの待ち時間は、普段は気づかない“心の揺れ”が静かに浮かび上がる時間です。
スマホを眺めても文字が頭に入らない日もあれば、隣の人の表情にふと励まされる日もあります。

杖を膝に立てかけ、ゆっくり呼吸を整えるおじいさん。付き添いに何度も微笑んでみせる女性。落ち着かない手の動きに緊張が滲む青年──。
誰も声には出しませんが、胸の奥で今日の結果を待つ不安が、淡い波紋のように広がっているのが伝わってきます。

その景色をぼんやりと眺めていると、「ここにいるのは自分だけではない」と思える瞬間があります。
病院の待合室は、不安の海でありながら、同時に“寄り添いが静かに息づく場所”でもあるのだと感じます。

若い主治医の明るい声

診察室に入ると、主治医の明るい声が迎えてくれます。私はときどき、初めて彼から病名を告げられた日のことを思い出します。
「えっと……肺がんですね。腺がんです」
その声は不思議なくらい軽やかで、重さよりも“日常の延長”のような響きをしていました。事実だけが水面にそっと落ちるように、胸の中へ沈んでいったのを覚えています。

あの日の私は泣きもせず、取り乱しもせず、ただ感情が追いつかずに宙に浮いたような感覚だけが残りました。
それでも生活は止まらず、仕事をし、ご飯を食べ、眠り、また翌朝がきます。胸の奥には、小さな石をひとつ飲み込んだような重みだけが、静かに沈んでいました。

今では、主治医の「変わりないですね」「大丈夫ですよ」という一言が、私を照らす小さな灯りになっています。その灯りを胸に、私はまた次の三ヶ月へと歩いていきます。

喫茶店でのモーニングという“ご褒美”

診察を終えると、私はゆっくり喫茶店へ向かいます。通院の日にだけ訪れる、小さなオアシスのような場所です。
こんがり焼けたトースト、ゆで卵、サラダ、湯気の立つコーヒー──たったそれだけなのに、心がふっと軽くなります。

大きな窓際の席で光を眺めながら、一口目をかじる瞬間。胸の奥に張り付いていたこわばりが、静かにほどけていきます。
「今日もよく頑張ったね」
そうやって自分に声をかけるのも、通院の日の大切な儀式です。

ときには手帳を開き、これからの三ヶ月にやりたいことをリストにします。読みたい本、見たい景色、行きたい場所。
病院という場所で未来の計画を立てている自分が、少しおかしくて、でも優しくて、その時間がたまらなく好きです。

帰り道は暮らしへ戻るための深呼吸

帰りの送迎バスには、朝とは違う光が差し込んでいます。
結果を聞いた安堵が身体の奥にじんわり広がり、景色までも柔らかく見えてきます。
胸の緊張がほどけていくと、世界の色がこんなにも明るくなるのだと、通院の日はいつも教えてくれます。

自宅に戻れば、簡単な昼食をつくり、午後の光に包まれながらひと息つきます。夕方には洗濯物を取り込みます。
特別なことは何もしていないのに、「今日も無事だった」という事実が、暮らしにそっと寄り添う優しい重みになります。

暮らしを支える、小さな儀式たち

丁寧にお茶を淹れること。小さな花を一輪飾ること。夕方の空をただ眺めること──。
暮らしの中には、心を整えてくれる儀式がいくつも隠れています。私にとって通院は、そのひとつになりました。

病気の有無にかかわらず、人は皆、自分を守るための儀式を持っています。
誰かに見せるためではなく、自分の心を静かに支えるためのものです。
通院の日は、私にとって“深呼吸をする日”になったのだと思います。

あなたの一日にも、深呼吸を

もし今、同じように通院を続けている人がいたなら、そっと伝えたいです。
不安を抱えたままでもかまいません。無理に強がらなくても大丈夫です。
その代わりに、自分だけの「深呼吸できる場所」をひとつ持っていてほしいと思います。

おわりに-私の中の、小さな儀式

病院の喫茶店でも、自宅の窓辺でも、帰り道にふと見上げた空でもかまいません。
その場所があるだけで、人は思っている以上にやわらかく、そしてしなやかに生きていけます。

私にとってのその場所は、山の麓へ向かう送迎バスと、喫茶店のモーニングです。
これからも私は、その静かな儀式をひとつずつ積み重ねながら、自分のペースで生きていこうと思います。

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