歴史に触れた瞬間、呼吸が深くなる——朝の丸岡城をひらいた日

わたしの物語

歴史に触れたとき、呼吸は深くなる——誰もいない朝の丸岡城をひらいた日

北陸の朝は、どこか“深い”。
湿り気を帯びた冷気が、胸の奥のざわめきをそっと沈めてくれるようで、
歩きながら自然と息が長くなる。

そんな空気の中、まだ誰も歩いていない丸岡城の坂道を、
わたしはゆっくりと上がっていました。
石段に残る夜明け前の冷気。
遠くの木々で揺れるかすかな風音。
そのすべてが、城に流れる時間の厚さを知らせてくれるようでした。

丸岡城——現存12天守のひとつであり、最古級の天守ともいわれる城。
その言葉を胸に刻んで坂をのぼるだけで、
歴女としての血が静かに騒ぎはじめるのを感じました。
この城の中に、わたしの知らない時代の息づかいが確かに眠っている。
そんな気配が、空気を通して伝わってくるのです。

「よかったら電気つけて、適当に入ってください」——夢のような瞬間

開館時間より少し早く着いたわたしに、警備の方が声をかけました。

「まだ係が誰も上がってないんですよ。入口だけ開けてあるので……
よかったら電気つけて入っててください。あとで行きますから」

その瞬間、胸が軽く跳ねました。
——まさか、天守を“目覚めさせる役目”を、わたしに?
歴女としてこれほど心の芯が震える言葉はありません。

わたしは思わず「やりますとも、やりますとも!」と心の中で叫びながら、
足取りを抑えきれず天守へ向かって駆けだしていました。

静かな石垣の間を抜け、天守が近づくにつれて、
体全体が“時間の深い層”に引き込まれていくような感覚がありました。
この城が今日最初に出会う人間が、わたし——
その事実に胸が熱くなりました。

真っ暗な天守に足を踏み入れる——静寂に包まれる至福の時間

入口をそっと開くと、
天守の中は、夜の気配をそのまま抱えたように真っ暗でした。
木の香りが濃く、わずかに冷たい空気が肌に触れる。

照明スイッチを押す「カチリ」という音が天守の天井に吸い込まれ、
薄い光が梁(はり)と柱の輪郭をゆっくりと浮かび上がらせます。

——まるで、城が目を覚ましていく。

続いて、蔀戸(しとみど)に手をかけて持ち上げる。
木と木が触れ合う慎ましい音がして、
外の世界からスッと光が差し込みました。

冷たく澄んだ朝風が天守の中に流れ込み、
わたしの胸にも新しい空気が満ちていく。
「これはもう……わたしの城なのでは?」
そんな錯覚すら覚えるほど、静寂と幸福に包まれていました。

急勾配の階段を登る——天守の“体の中”を歩く感覚

丸岡城の階段は、現存天守らしく驚くほど急です。
その急角度は、敵の侵入を防ぐための必然であり、
同時に、この城がいまも“戦いの記憶”を背負っている証でもあります。

わたしは両手を板に添えながら、一段ずつ慎重に登りました。
板がかすかに軋む音は、まるで天守が息をしているかのよう。

二階もまた真っ暗。
照明をつけ、一枚ずつ蔀戸を開いていくたびに、
光が天守の内部に流れ込み、朝が深まっていきました。

この“ひらく”行為が、わたしの心までひらいていくようで——
歴女としての高揚と、ひとり旅の静けさが重なり合う、
なんともいえない豊かな時間でした。

雪国の知恵「石瓦」——重たく静かな屋根が語るもの

丸岡城が他の城と大きく異なるのは、その屋根。
瓦ではなく、石を用いた「石瓦(いしがわら)」です。

北陸の豪雪に耐えるための構造で、
厳しい冬を乗り越える知恵が詰まっています。
石が覆い尽くす屋根は重く、沈黙の気配をまとい、
天守全体に“動じない強さ”を与えていました。

その屋根を見上げたとき、
ああ、この城は雪に鍛えられたのだ——
その事実が胸にしみこみ、わたしの呼吸もずっと深くなりました。

柱だらけの1階——構造の純粋さに心が震える

内部に戻り、改めて1階を見つめると、柱の多さに圧倒されます。
装飾ではなく、実用のための柱。
400年以上前の大工たちの“生きた構造計算”がここにあります。

木の温度、節の形、梁の太さ……
すべてがこの天守の歴史を語り、
わたしはまるで天守の心臓部に触れたような気持ちになりました。

お静の人柱伝説——祈りを抱えた石垣

丸岡城には「お静の人柱伝説」が残っています。
築城の難航を見かねたお静が自ら犠牲となったという物語。

史実かどうかは重要ではありません。
大切なのは、この土地の人々が、
その悲しみと祈りを石垣に重ねてきたということ。

朝の光に照らされた石垣は、
苔の一つひとつにまで時間が染み込み、
そこに立つだけで胸の奥に静けさが広がっていきました。

福井大地震にも崩れなかった石垣——穴太衆の技術に触れる

丸岡城の石垣は、1948年の福井大地震にも崩れませんでした。
その背景には、石積みの名手・穴太衆(あのうしゅう)の技術があります。

自然石を活かす“野面積み”。
隙間をつくり、揺れを逃し、自然の力と共存する方法。
その前に立つと、石が語りかけてくるようでした。

「人の手でつくられたものでも、自然と調和すれば壊れない」

その事実に触れた瞬間、
わたしは胸の奥からすっと深い息が漏れました。

柴田勝豊の築いた戦いの城で、わたしが受け取ったもの

丸岡城は、柴田勝家の甥・柴田勝豊が築いた城。
築城翌年には一向一揆との戦いが始まりました。

戦いのための城。
監視のための城。
緊張と恐れの中で立ち上がった城。

しかし、そんな城でわたしが受け取ったのは、
不思議なほどの“静けさ”でした。

戦の記憶を抱えながらも、
今この城は、訪れる人の心をそっとゆるめてくれる場所になっている。
歴史は、ときに癒しを生むのだと気づかされました。

歴史に触れたとき、わたしたちの呼吸は深くなる

蔀戸を開けて光を入れたときの音。
石瓦を見上げたときの重たい静けさ。
柱に触れたときの温度。
穴太衆の石垣に宿る祈り。

その一つひとつが、
わたしの浅くなっていた呼吸を、
ゆっくり、深く、元のリズムへと戻してくれました。

歴史に触れると、人は深い呼吸を思い出す。

丸岡城の朝は、その真理を静かに教えてくれた時間でした。

まとめ——丸岡城の朝は、心の奥に灯るやわらかな光だった

  • 朝一番に天守をひらく特別な体験
  • 北陸の知恵「石瓦」が生む重厚な静けさ
  • 現存天守ならではの骨格の美しさ
  • お静の伝説に触れるときの深い呼吸
  • 穴太衆の石積みが守った“不屈の城”の姿

丸岡城は、戦いの歴史を背負いながらも、
訪れた人の心をそっと整えてくれる不思議な力を持つ城でした。

もしいま、あなたの呼吸が少しだけ浅くなっていると感じたなら——
丸岡城の朝を歩いてみてください。
そこには、過去と現在が静かに重なり合う、
やわらかな光のような時間があります。

コメント