疲れ切った朝に導かれた、舞鶴“日帰りリセット旅”。家族の記憶が静かに胸にほどけていった日

わたしの物語

仕事の疲れに押しつぶされそうな朝に…舞鶴“リセット旅”が心を救ってくれた話(田辺城・赤れんが・港町)

朝の通勤電車に揺られながら、胸のあたりがじわりと重くなる日があります。
「今日、わたし大丈夫かな…」そんな声が、身体の奥のほうで小さく震えている朝。

その日も、わたしは京都へ向かうつもりで家を出ました。
けれどホームに立った瞬間、人の多さに息が浅くなってしまって、足がすっと止まったのです。

無理に行き先を変える理由があったわけではありません。
ただ、その場に立ち尽くして、「今日はこの流れじゃない」と感じていました。

遠くへ行く元気はないのに、どこか「ここじゃない」と思ってしまう朝があって、舞鶴はその逃げ道になってくれました。

ふと目に入ったのは、見慣れない行き先の特急。
「舞鶴」と表示されたその文字は、不思議と騒がしくなく、静かにそこにありました。

目的地を決め直したというより、
ただ身体の声に従って、電車に乗り込んだ――そんな感覚でした。

走り出した車内で、ようやく少し呼吸が戻ってきたころ、
頭の片隅にひとつの名前が浮かびます。

舞鶴といえば……田辺城。

城マニアの触手が、そこでようやく動きました。
派手な天守もなく、いわゆる「見どころ」が多い城ではありません。
けれど、何もないからこそ想像できる時間や、かつての役割が、田辺城には残っています。

石垣の配置や、城下町との距離感。
地図には表れない、人の営みの痕跡。
そうしたものを、わたしは静かに歩きながら読み取るのが好きなのです。

目的地を決めずに乗った電車だったはずなのに、
気がつけば「ここなら、ちゃんと歩けそうだ」と思っている自分がいました。


京都に向かうはずが…直感に導かれた“舞鶴行き特急”

舞鶴行きの特急列車は空いていて、柔らかい陽が差し込んでいました。
車窓を流れる景色を眺めながら、スーッと息が深くなっていくのが分かります。

「これでよかった」
そう思えたのは、舞鶴に着くよりもずっと前のことでした。


西舞鶴で降りて、静かな田辺城址へ

舞鶴に行くならここだけは、と足が向いたのは田辺城址
城郭マニアとしての血が騒ぐのを抑えつつ(笑)、静かに散策しました。

多くは残っていませんが、石垣の影や堀の名残、町割りに、
当時の気配のようなものが淡く残っていました。

資料館には、関ヶ原の前哨戦といわれた“田辺城の戦い”の布陣図が展示されていて、
それがまた興味深いものでした。

完全包囲ではなく、一角が開いている。
物資も人も、出入りできるような“やさしい籠城戦”。

細川幽斎という人物が、信長・秀吉・家康を渡り歩いて生き残ったのは、
こうした“戦わずに守る”智慧を持っていたからなのかもしれません。

歴史の中の静けさに触れる時間は、わたしの心をそっと鎮めてくれました。


バスに揺られて舞鶴港へ。赤れんがと軍港の記憶に包まれる

城跡をあとにして、バスで港へ向かいました。
車窓から見える海上自衛隊の艦船に、舞鶴が軍港として生きてきた時間を思い出します。

圧巻だったのは、明治〜大正期の赤れんが倉庫群。
海風にさらされながらも、静かに佇むその姿は“時間を耐えてきた建物”だけが持つ深みがありました。


日本海の海の幸と“海軍カレー”。小さなご褒美が心をほぐす

舞鶴のランチは、迷わず海の幸。
ひとりでいただく海鮮は、心の中にぽっと灯りをともすようでした。

自分へのお土産には、レトルトの海軍カレー
ほんの小さな“ご褒美”が、旅の余韻を優しく長くしてくれます。


港の資料を見て思い出した、曽祖父と祖父の“船の記憶”

舞鶴港の引揚資料を眺めていたとき、不意に胸が熱くなりました。

わたしの曽祖父と祖父は、田舎の定期航路の船会社を営んでいたこと。
戦時中、船は物資輸送のために召し上げられ、会社は廃業したこと。

終戦前後、その船が引揚船として九州と大陸を往復していたこと。

そして幼いわたしが見ていた、田舎の湾に浮かぶ“ぼろぼろの大きな船”。
あれは、家族の歴史の最後のシルエットだったのでしょう。

舞鶴という土地に触れたことで、
長いあいだ海の底に沈んでいたような家族の記憶が、そっと浮かび上がってきたのです。

その瞬間、わたしは深く息を吸い込みました。

「わたし、こういう旅を必要としていたんだな」
そんな言葉が、心の奥から静かに湧いてきました。


東舞鶴駅で見つけた“三宮直通バス”。旅の締めくくりは思いがけない軽やかさ

帰りは東舞鶴駅へ。
夕暮れの光が薄く滲む駅前に立つと、ふと目に飛び込んできたのは三宮行きの高速バス

時刻表を見て驚きました。
電車よりもずっと早く、そして驚くほど安い。

「こんなラッキーなことってあるんだ」
そんなふうに微笑みながらバスに乗り込みました。

日帰りなのに、心は満たされて、帰り道は風のように軽かったのを覚えています。


予定外の旅が、わたしの心を静かに救ってくれた

予定していなかった舞鶴行きの特急に乗った朝。
あのとき直感に従わなければ、この旅には出会えていませんでした。

旅はときどき、わたしたちが忘れてしまった“心の声”を思い出させてくれます。
そして、家族の記憶や過去の景色とそっとつながり直すとき、
不思議なくらい心が整っていくのです。

舞鶴から戻った翌朝、目覚ましが鳴る前に、ふと目が覚めました。
前日と同じはずの朝なのに、胸の奥にあったあの重たさが、少しだけ薄れているのに気づいたのです。

元気になった、というほどではありません。
身体の奥に、ほんのわずかな余白が戻っていました。

それでも、昨日までとは違っていました。
「今日は無理をしなくてもいい」
「全部をうまくやろうとしなくていい」
そう思える余白が、心の中にちゃんと残っていたのです。

舞鶴で過ごした時間は、問題を解決してくれたわけではありません。
ただ、立ち止まって呼吸を整える場所を、身体に思い出させてくれました。

しんどくなったら、また戻ればいい場所がある。
そう思えること自体が、わたしにとっては大きな支えでした。

仕事の疲れやストレスで押しつぶされそうな朝にこそ、
こんな“ちいさな逸脱”が必要なのかもしれません。

舞鶴から帰る頃、劇的に元気になったわけではありませんでした。
しんどさが消えたわけでもない。
それでも不思議と、「今日を終えられる感じ」だけは戻っていました。

何かをやり直そうとか、前向きになろうとか、そういうことではありません。
ただ、今日一日を無理なく畳める感覚が、静かに戻ってきていたのです。

この街では、ずっと何かを説明しなくてよかった。
どうして来たのかも、何を期待しているのかも、言葉にしなくていい時間が流れていました。

港町には、役割を終えたあとも続いていく生活の気配がありました。
賑やかさはないけれど、その分、時間の流れが素直で、こちらの呼吸を急かさない。

疲れ切ったとき、人は「元気になる場所」よりも、
「そのままでいられる場所」を必要とするのかもしれません。


おわりに

もし今、あなたが疲れ切っているなら――
予定を変えてみる勇気を、どうか少しだけ持ってみてください。

きっとその先に、あなたの心をそっと救ってくれる風景が待っています。


情報ソース(参考)

※舞鶴の歴史、赤れんが倉庫群の保存状況、田辺城の史実などの基本情報は、上記公式サイトおよび史料を参考にしています。
記事内の体験談・印象・感情表現はすべて筆者(入江明日香)の実体験に基づいています。


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