誰もいない産業遺産で、呼吸が整った午後|神子畑選鉱場跡

選鉱場シックナー跡 心を整える旅

役目を終えた場所で、何もしない時間を過ごす

観光地を攻略するような気分ではない日がある。
遠くへ行く元気もないし、何かを達成したいわけでもない。
ただ、いったん呼吸をほどいて、頭の中のざわつきを静めたい。
そんな日にふと選んだのが、神子畑選鉱場跡でした。

廃墟、と聞くと刺激や怖さを想像する人もいるかもしれません。
でも、ここで感じたのは、その逆でした。
役目を終えたものと自然が並んで在る静けさが、ただ、心を落ち着かせてくれた。
今日はその「何もしない時間」の記録です。


観光地になりきらない場所へ

神子畑は、800年以上にわたって鉱山とともに歩んできた土地だといわれています。
かつては銀や銅の鉱山として栄えましたが、時代の流れとともに閉山を迎え、一度は衰退の道をたどりました。

その後、近隣の明延鉱山の選鉱施設が手狭になったことをきっかけに、神子畑は新たに選鉱場として整備されます。
こうして建設された機械選鉱場は、当時「東洋一」と称され、24時間稼働する不夜城として再び活気を取り戻しました。

明延鉱山と神子畑のあいだには、かつて「明神電車」が走り、人と鉱石を運んでいました。
その小さな車両は、今もこの地に静かに展示されています。
現在、神子畑選鉱場跡は文化財としても指定され、役目を終えた今は、山の緑とともに時間だけがゆっくりと流れています。

神子畑選鉱場案内看板

神子畑選鉱場跡の全体構造がわかる案内看板(現地案内マップ)


役目を終えた建物が残す静けさ

この地では、五代友厚が鉱脈を探していたとも伝えられています。
最盛期には、およそ3,000人が働き、選鉱場は24時間体制で稼働していました。

海外から招聘された技師の宿舎があり、工員の住まいが立ち並び、学校や病院も整えられたことから、
「三菱の城下町」と呼ばれるほどの賑わいを見せていたそうです。

しかし、時代の移り変わりとともに人の流れは途絶え、建物も次第に姿を消しました。
いま残っているのは、かつてここに確かに人の営みがあったことを静かに伝える、わずかな痕跡だけです。

それでも、敷地に足を踏み入れると、その「わずか」が想像以上の存在感を持って立ち上がってきます。
山の斜面を利用して築かれた選鉱場は、高低差およそ75メートル。
22層にも及ぶひな壇状の構造が、横に110メートル以上広がっています。

現在、内部に立ち入ることはできません。
見学は外から、下から眺めるかたちに限られています。

それでも、見上げるだけで、その構造の異様さは十分に伝わってきます。
斜面に沿って積み重なるコンクリートの段差は、建物というより、山に刻まれた巨大な人工の地形のようです。
かつて鉱石が重力に従って流れ落ちていったであろう経路を、想像の中でなぞるしかありません。

とりわけ印象に残るのが、巨大な円形構造をもつシックナーです。
外周から見上げるその姿は、産業遺産という言葉よりも、むしろ古代遺跡を思わせます。
機械の音が消えたあとに残った空間は、近づくほどに静かで、異なる時間の層に立たされているような感覚を覚えました。


世界水準の技術が、山あいに集まっていた

明延鉱山から運ばれていた鉱石には、スズや銅、亜鉛など、複数の鉱物が含まれていました。
そのため、鉱石の性質に応じた高度な選鉱作業が必要とされ、神子畑では当時としては非常に先進的な技術が用いられていたといいます。

なかでも比重選鉱の技術は海外からも注目され、視察団が訪れるほど高く評価されていました。
山あいの静かな場所に、世界水準の技術が集まっていたことを思うと、この地が担っていた役割の大きさがあらためて実感されます。

コンクリートの構造物や段状に連なる施設の跡は、今もなお、その技術の記憶を確かに留めていました。

※敷地内には立入禁止区域があります。見学は現地案内・表示に従って行っています。


もう動かない線路の前で立ち止まる

山の斜面にまっすぐ伸びる線路跡は、かつて選鉱場の上下を結んでいたケーブルカーの軌道です。
鉱石や資材を運ぶために設けられたこの道は、急勾配の地形に沿うように、今もはっきりと残されています。

もう動くことのない線路ですが、見上げると、ここを往復していた機械の音や人の気配が、かすかに想像できました。
一定のリズムで軋む音、合図を送り合う声、忙しく行き交っていたであろう時間の流れ。
けれど、それらはすぐに想像の中へと溶け、足元に広がるのは、今この瞬間の静けさだけです。
それでも不思議と、緊張感よりも静けさのほうが先に立ち、ただその場に立ち止まって眺めていたくなる風景でした。

選鉱場インクライン(ケーブルカー)跡

神子畑選鉱場跡の山の斜面に残るインクライン(ケーブルカー)の線路跡


廃墟なのに、心拍数が上がらなかった理由

軍艦島を訪れたときにも、同じことを感じました。
かつて大勢の人が行き交い、生活の音で満ちていた場所が、人の気配を失った今、なぜこれほどまでに人を引きつけるのだろう、と。

風化した建物に、少しずつ自然が入り込み、境界が曖昧になっていく。
人の手でつくられたものと、時間や自然が重なり合うことで、そこには言葉にしにくい、独特の美しさが生まれているように感じます。

神子畑選鉱場跡もまた、「かつての営み」と「今の静けさ」が同時に存在する場所でした。
圧倒されるというより、ただ立ち止まり、しばらく見ていたくなる。
そんな引力が、静かに残っているように思えます。


旧ムーセ邸と、時間をつなぐ百日紅

旧ムーセ邸は、神子畑に招聘された外国人技師のために、生野銀山から移築されたコロニアルスタイルの建物です。
屋根には菊花の御紋章があしらわれており、生野銀山がかつて宮内省の財産であったことを静かに物語っています。

神戸に残る異人館よりも古い歴史を持ち、建てられたのは明治4〜5年頃。
山あいのこの地に、明治初期の建築が今も残されていることに、少し驚かされました。
現在は県指定重要文化財として、大切に保存されています。

旧ムーセ邸の脇に立つ大きな百日紅は、樹齢二百年ほどといわれています。
鉱山が栄え、多くの人が行き交っていた時代も、そして静けさが戻った今の姿も、
この木は変わらず見つめてきたのかもしれません。

建物や設備が役目を終えていく中で、ただそこに立ち続ける百日紅の存在が、
神子畑の時間の流れを、静かに伝えているように感じられました。

旧ムーセ邸

神子畑選鉱場跡に残る招聘技師の宿舎跡(建物跡の外観)


整う場所は、遠くにあるとは限らない

神子畑選鉱場跡は、何かを学びに行く場所でも、感動を受け取りに行く場所でもありませんでした。

ただ、立ち止まり、風の音を聞き、役目を終えたものと自然が並んで在る時間を過ごすうちに、
気がつけば、心の奥のざわつきが静まっていました。

整う場所は、遠くに行かなくてもいい。
そう思わせてくれる場所が、生活圏の少し先にあることが、何よりの救いなのかもしれません。

気づけば時間の感覚も曖昧になり、次に向かう理由を、しばらく見失っていました。

しばらく、その場を離れられませんでした。風が止むまで、ただ。

あわせて読みたい

コメント