元宵節の灯りに誘われて——長崎ランタンフェスティバルと軍艦島の記憶

旅先の風景



家から60分では着けない場所に、ふっと心を連れていきたくなる日があります。
近場で整う旅が日常を支えてくれるようになってからも、時々どうしようもなく「空気を丸ごと変えたい」と思う瞬間がある。

数年前の長崎は、まさにその“切り替え”の旅でした。
飛行機なら家から片道2時間ほど。行こうと思えば行ける距離なのに、日常からはちゃんと遠い。
そして、私がどうしても惹かれてしまう灯りの祭りが、ちょうどこの街にありました。

長崎ランタンフェスティバル。
けれど私は、あえて「元宵節(げんしょうせつ)」と呼びたくなる。
その言葉の響きだけで、少しノスタルジックな気持ちが立ち上がってくるからです。

眼鏡橋の下に映る長崎ランタンフェスティバルの灯り


長崎の夜は、灯りでできている

宿は中華街まで徒歩2分ほど。
会場まで歩いて行けるというだけで、旅はぐっと自由になります。

長崎は、こぢんまりとした街です。
その気になれば歩いて回れる。だからこそ、夜の散策が「移動」ではなく「滞在」になる。

人の流れに合わせて歩いているうちに、視界の端から光がにじむように増えていく。
ランタンの灯りは派手なのに、なぜか眩しすぎない。
あの柔らかさが、不思議でした。

眼鏡橋のあたりで足が止まりました。
川に映る光は、現実の景色なのに、どこか夢みたいで。
「来てよかった」と思うより先に、胸の奥がほどけていく感覚がありました。

忙しい日々の中で、私たちは“見慣れた景色”の中だけで気持ちを回復させようとしてしまう。
でも本当は、回復って、景色ごと変えた時に一番早いのかもしれません。


元宵節(ランタンフェスティバル)は、疲れた心に優しい

ランタンフェスティバルの良いところは、ただ「綺麗」なだけではないところです。
見上げても、見渡しても、光がある。
そして光があるのに、どこか穏やか。

街全体が、ひとつの大きな会場みたいになっていて、
その中を歩いているだけで、気持ちが少しずつ静かになっていく。

長崎ランランフェスティバル午

干支にちなんだ大きなランタンを見つけ立ち止まったとき、
私は少しだけ子どもみたいな気持ちになりました。

旅って、何かを学ぶためだけじゃなくて、
こういうふうに「心がほどける瞬間」を増やすためにあるのかもしれません。

もし初めて行くなら、私のおすすめはこうです。

  • 宿は中華街付近(徒歩で動けるのが最強)
  • 夜は“目的を作りすぎない”(歩きながら灯りに出会う旅が良い)
  • 写真は無理に撮りすぎない(見る時間の方が心に残る)

撮らなきゃ、残さなきゃ、という気持ちが強いときほど、旅は少し急いでしまう。
長崎の灯りは、急いだ心をちゃんと足止めしてくれます。


四海楼のちゃんぽんと、人生を変える皿うどん

旅の記憶は、景色と一緒に“味”で残ります。

長崎といえば、ちゃんぽん。
ちゃんぽん発祥と言われる四海楼のちゃんぽんは、もちろん外せません。

でも私が本当に驚いたのは、皿うどんでした。
正直に言うと、私は皿うどんを甘く見ていました。
「麺に餡がかかっている、あの料理だよね」くらいの距離感で。

ところが、あの皿うどんは別物でした。
常識が覆されるほどの絶品。
あそこでしか味わえない、“至高の一品”という言葉が、変に大げさじゃなくなる。

あの夜の記憶を、味で思い出したくなったら。
ちゃんぽん発祥の店・四海樓の公式サイトも置いておきます。
中華料理 四海樓(公式サイト)

唯一無二四海楼皿うどん

旅先のごはんって、単なる食事じゃないんですよね。
疲れた身体と心に、「大丈夫」って言ってくれるもの。
私はたぶん、この一皿で回復していました。


軍艦島は“あてもん”だった。それでも行きたかった

この旅に、もうひとつの目的がありました。
軍艦島です。

軍艦島は、あてもんみたいなもの。
行ってみても、上陸できるかどうかは波と風次第です。

予定通りにいかない可能性があるのに、私はどうしても行きたかった。
それはきっと、「行けるかどうか分からない」という不確かさが、
今の自分の生活にも似ていたからかもしれません。

軍艦島(端島)全景

私が行った日は、船員さん曰く、年明け最高のコンディション。
信じられないほどスムーズに、上陸と見学ができました。

あの瞬間、ちょっとだけ思いました。
「これは、当たりを引いた日だ」と。


上陸して分かった。軍艦島は“廃墟”という言葉では足りない

軍艦島は、特別です。

最近見学した摩耶観光ホテルも、廃墟感が半端なかった。
けれど軍艦島は、別の種類の静けさを持っていました。

壊れているのに、立っている。
崩れているのに、形が残っている。
その矛盾のような姿が、ただ怖いのではなく、胸を打つ。

見上げると、窓が並んでいる。
そこに生活があったことが、はっきり分かる。
でも今は、誰もいない。

私は廃墟を見るとき、過去を見ているつもりで、
本当は「今の自分」を見ている気がします。

忙しくて、頑張って、なんとか回している日々。
その“回しているもの”が止まったとき、何が残るんだろう。
軍艦島は、そういう問いを、言葉にせず置いてくる場所でした。

見学が終わり、船が岸を離れていく。
島は何も言わず、ただそこに立っていました。

けれど船が島を離れるとき、なぜかしら昔のように、
大勢の島民が手を振って見送ってくれているような、そんな気配を感じました。

もちろん、そこに人はいません。
風の音と、波の音と、崩れかけた建物の影だけです。

それでも私は、その瞬間だけ、
軍艦島が「過去のまま」ではなく、確かに「いま」ここにある場所として、胸に残った気がしました。

軍艦島廃墟


灯りの夜と、廃墟の昼。長崎がくれた“整い方”

長崎の元宵節は、心を温めてくれました。
軍艦島は、心を静かにしてくれました。

ふたつは正反対の体験なのに、旅が終わる頃には、
不思議なくらい気持ちが真ん中に戻っていました。

派手な癒しではなく、
“静かに整う”という回復。

もし最近、疲れが抜けない人がいたら、
長崎はきっと合うと思います。

  • 夜は灯りに包まれて、ただ歩く
  • 昼は海の上へ出て、過去の静けさに触れる
  • その間に、ちゃんぽんと皿うどんで回復する

旅の帰り道、私は思いました。
「また頑張ろう」ではなく、
「ちゃんと整えながら生きよう」と。

元宵節の灯りに誘われたこの旅は、
私の中に、今も小さく残っています。

ランタンフェス孔子廟

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