廃墟の女王・摩耶観光ホテルへ|若い頃の記憶と、いま目の前の静けさが重なった日
摩耶観光ホテルを、私は一度だけ訪れたことがあります。
それは、建物がホテルとしての役割を終えたあと、学生の合宿や研修施設として使われていた時期のことでした。
1980年代の終わり頃――おそらく1987年か1988年だったと思います。
まだこの建物が、完全に時間の中へ沈みきる前のことでした。
正直に言えば、当時の記憶はあまり残っていません。
でも、不思議なことに「講堂」だけは覚えていました。
空間の広さと、舞台の気配。声が吸い込まれていくような静けさ。
その感じだけが、時間を越えて残っていました。
そして今回。
年に数回しかない特別公開の機会に、私はもう一度、摩耶山へ向かいました。
このツアーに申し込んだのは、今回が3回目でした。
1回目は満員。2回目も満員。
そして3回目で、ようやくキャンセル待ちが回ってきました。
ツアー添乗員の方が、こんな話をしてくれました。
年に数回開催されるこの見学ツアーでは、必ず一人か二人、
「学生の頃、ここに来たことがある」という参加者がいるのだと。
――それは、まさに私のことでした。
摩耶山へ向かう:駅と空と、少しずつ変わる空気
摩耶山へ向かう道は、ただの移動ではありません。
街の音が遠ざかっていくのと同じ速度で、気持ちの中のザワつきも薄くなっていく。
あれは、山に入っていくというより、「別の時間帯」に移動している感覚でした。

摩耶ケーブル駅(まいまい京都公式ツアー集合場所)

星の駅周辺の様子(まいまい京都公式ツアーに参加して撮影)

星の駅周辺の摩耶山の風景

摩耶山から見た景色

摩耶ロープウェイ「虹の駅」(まいまい京都公式ツアーに参加して撮影)
かつての遊園地跡を歩く:賑わいの“痕跡”だけが残っていた
摩耶山には、かつて遊園地がありました。
いまは木々が育ち、道は静かで、鳥の声がするだけ。
でも、ところどころに「確かにここにあった」という痕跡が残っています。
添乗員の方が教えてくれたのは、この池。
もともとはスケート場だった場所で、いまは水がたまって池のようになっているのだと。
「人工物が自然に回収されていく」――そんな言葉がぴったりの景色でした。

スケート場跡の池
道の途中で見たもの:山は“時間の層”を静かに抱えている
道の途中には、案内板や表示がありました。
地図を見て、いま自分がどこを歩いているのかを確認するだけで、摩耶山が「点」ではなく「層」だとわかってきます。

登山道案内図
倒木が道の脇に横たわっていました。
ここには誰かの手で整備された道もあるのに、同時に、自然は自然の速度で進んでいく。
「いずれは全部、こうなるのかもしれない」――そんな予感を静かに置いていく景色です。

倒木のある風景:龍にみえますか?

摩耶山頂 三等三角点(まいまい京都公式ツアーに参加して撮影)

旧天上寺跡(まいまい京都公式ツアーに参加して撮影)
摩耶花壇跡:立ち入り禁止の先に残っていた、もう一つの記憶
今回のツアーでは、通常は立ち入り禁止となっているエリアも、特別公開として見学できました。
そのひとつが「摩耶花壇跡」。
文字として名前を見た瞬間、摩耶観光ホテルが“廃墟”ではなく、かつて「リゾート」だったことが、急に現実味を帯びてきます。

摩耶花壇跡の説明(まいまい京都公式ツアー特別公開)

摩耶花壇跡 外観(まいまい京都公式ツアー特別公開)

摩耶花壇跡 内部(まいまい京都公式ツアー特別公開)
そして摩耶観光ホテル:女王は、簡単に近づける存在ではなかった
摩耶観光ホテルは、いま「廃墟の女王」と呼ばれています。
でも、実際に近づくと、女王というより「封印」に近い。
こちらの好奇心だけで踏み込んでいい場所ではない、という圧があります。

摩耶観光ホテル外観(まいまい京都公式ツアー特別見学)
摩耶観光ホテルは現在、登録有形文化財として保護されており、通常は立入禁止となっています。
今回、内部を見学できたのは、「まいまい京都」が主催する公式ガイドツアーに参加し、摩耶山再生の会の事務局長である慈憲一さんが同行されたためです。
慈さんは、摩耶山の歴史的建築や文化遺産の保存・再生活動に長年携わっておられ、その専門的な知識と安全管理のもとでのみ、こうした貴重な空間に立ち入ることが可能となっています。
摩耶観光ホテルは文化財として厳重に保護されており、無断で立ち入ることはできません。
見学を希望される場合は、必ず正式な公開機会や、まいまい京都などの公式ガイドツアーを利用してください。
ただし、このツアーは人気が高く、すぐに定員に達してしまいます。
私も最初の申し込みでは参加できず、キャンセル待ちでようやく参加することができました。
それだけ、この建物が多くの人にとって特別な存在であることを示しているのだと思います。
講堂で記憶が戻った:私は確かに、ここにいた
そして、講堂に足を踏み入れた瞬間。
私は、思い出しました。
「ここだ」――と。
若い頃、ここに来たはずなのに、当時のことはほとんど覚えていない。
それでも、講堂だけは覚えていた。
理由はたぶん、空間が大きすぎたからではなく、静けさが深すぎたからです。
講堂に立ったとき、まず感じたのは「広さ」ではありませんでした。
むしろ、音の少なさでした。
建物は老朽化しているはずなのに、空間は不思議なほど整っていて、崩れているという印象はありませんでした。
長い時間が経っているはずなのに、ここだけは時間の流れが緩やかだったのかもしれません。
若い頃、この場所で何をしていたのかは思い出せません。
けれど、この空間にいたという感覚だけは確かに残っていました。
それは記憶というより、「身体が覚えている感覚」に近いものだったと思います。


講堂の意匠(まいまい京都公式ツアー特別見学)
ツアー添乗員の方が言っていました。
年に数回開催されるこのツアーでは、必ず一人か二人、「学生の頃に合宿で来たことがある」という人がいるのだと。
1994年頃まで研修施設として使われていた時期があり、私は1980年代後半に、確かにここにいました。
そしていま、同じ講堂で、当時の自分と現在の自分が静かに重なるような感覚がありました。
客室の外廊下を歩く:誰もいないのに、生活の気配だけが残っている
講堂のあと、客室へ続く廊下を歩きました。
建物の中に風が通り、遠くの音が微かに反響する。
それだけで、ここが「廃墟」ではなく、「暮らしの器」だったことがわかります。

ホテル内部の階段(まいまい京都公式ツアー特別見学 慈憲一氏同行)

客室外廊下(まいまい京都公式ツアー特別見学/慈憲一氏同行)
帰り道:山は何も語らない。ただ、こちらの呼吸だけが整っていく
帰り道、摩耶山の空気は相変わらず澄んでいました。
さっきまで「女王」の中にいたはずなのに、山は何事もなかったように静かです。
でも、私の中だけが少し変わっていました。
昔ここに来たことがある――そう言える人が年に数人いる。
その“数人”の中に自分がいることは、ちょっと不思議で、少し誇らしくもありました。
そして同時に、こうして正式な形で再訪できたことが、とても貴重だとも思いました。
摩耶観光ホテルは、簡単に近づける場所ではありません。
だからこそ、あの講堂にもう一度立てたことは、たぶん一生分の体験だったのだと思います。
摩耶ケーブル駅に着いたとき、ようやく日常の時間に戻ってきたような感覚がありました。
山の上にいた時間は、現実とは少し違う流れ方をしていたのだと思います。
摩耶観光ホテルは、これからも簡単に近づける場所ではないでしょう。
だからこそ、今回この場所を訪れることができたことは、とても特別な体験でした。
まとめ:廃墟ではなく、時間の続きを見に行った
摩耶観光ホテルは、怖い場所ではありませんでした。
そこにあったのは、時間の重なりと、役目を終えた建物の静けさ。
そして、若い頃の自分が確かにそこにいたという、個人的な記憶でした。
「廃墟の女王」という言葉は、たしかに似合います。
でも私にとっての摩耶観光ホテルは、女王というよりも、
“思い出の中で生き続けていた建物に、もう一度会えた場所”でした。


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